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◆◇◆ 福王子神社とは ◆◇◆
= 由来 =



福王子神社は、第五八代光孝天皇の皇后班子
女王を祭神として奉祀している。
御室仁和寺の守護神としてその歴史は大変に
古く、昔は福王神とか福王子宮とも呼ばれて
いた。

今から1100年の昔、光孝天皇が今の御室大内山の麓に、国家の
安泰と仏法の興隆を願って伽藍の建立に着手され、その完成を見な
いうちにお亡くなりになったが、第五九代宇多天皇が先帝のご遺志
を継がれ、母君の班子女王とともに仁和寺をご造営になられたので
ある。

班子女王は、非常にお気軽に自ら散策やお買物にもお出かけになら
れ、庶民に親しまれた方であったことが記録に残されている。

昌泰三年(900年)班子女王がお亡くなりになり、頭陀寺に葬ら
れたが、その陵墓がこの辺であったところから、この地に班子女王
を奉祀する福王子神社が造営されたと伝えられている。
その後、平安時代から鎌倉時代初期にかけて、とくに歴代の仁和寺
法親王から厚い御崇敬を受け仁和寺の鎮守神として奉られてきた。

当時の社殿は、応仁ニ年(1468年)の都の大部分が焼き尽くさ
れたといわれる応仁の乱により、御室仁和寺の全ての堂塔伽藍とと
もに焼失してしまった。

現在の社殿は、寛永ニ一年(1644年)徳川三代将軍家光公の寄
進により、仁和寺の宮、覚深法親王が五重塔、仁王門等の堂塔伽藍
の再建整備と同時に造営されたものである。

その後も仁和寺とのつながりはそのまま続い
ており、毎年の10月に執行される秋の大祭
の御神輿巡行の神事の際に、仁和寺に参内し
奉幣を受ける儀式が、今も往時のままに行な
われている。
            (→写真:仁和寺)

また、福王子神社は、仁和寺の守護神であるとともに、庶民に親し
まれた班子女王の御遺徳を偲び、地元の御室村、福王子村、鳴滝村
はもとより、班子女王の父君のあたられる桓武天皇の一品大政大臣
仲野親王が住まわれていた中野村、常盤村、山越村を含む旧六ケ村
(西は広澤池、南はJR山陰線、東は嵐電妙心寺駅附近迄)の地域
の産土の大神として、広く氏子から尊敬崇拝され、今日に至ってい
るのである。

以上のように、福王子神社は、仁和寺との古
いつながりを持ち、皇室と深い関係にあった
格式のある由緒深い神社であり、御紋には皇
室の十六紋菊が使われている。
                  [文責 宮司:村田健史氏]

福王子神社